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「哲学入門書」としておすすめの哲学概要書10選

こんにちは、こんいろです。

哲学用語を解説するブログとして本ブログを開設したわけですが、「そもそも哲学を学びたい!」という人で最初に挫折するのって、「何から読めばいいかわからない?」ということじゃないですか?

ということで、ここでは「哲学 入門」などで検索してきた方のアクションに少しでも繋がるように「哲学の入門書としておすすめの哲学概要書」のうち、僕が目を通したものを独断と偏見でまとめることにしました。

また、読むべき哲学書の選び方なんかについても軽く解説することができればな、と考えております。

この記事のターゲット

ざっくり書いてしまいますが、他の記事とは異なりこの記事はざっくばらんな話口調で展開していきたいと考えています。それは、「そもそも哲学を学ぶかどうかも決まっていない人に難しい言葉で語りかけてもやる気を失わせるだけ」と考えるから。

ともあれ、この記事で誰に向けて書いているか?といえば、下記に当てはまる人になります。

  • 「哲学が何の役に立つのか?」を知りたい人
  • 「哲学を知的好奇心を満たすために知りたい」と考えている人
  • 人生や仕事など色々なことに悩んで、哲学に救いを求めている人

この上記3つに当てはまる人に向けて書いているので、参考にしてくださいね。

哲学概要書とは?

「哲学の概要書」という括りが明確にあるのかどうかはさておき、僕は「哲学概要書」を下記のように(勝手に)定義しています。

”「だいたいどのくらいの時期にどんな問題意識を持ったどんな人が出てきて、結果的に後世の哲学に何を残したのか?」をざっくり理解できる本”

もっと簡単に言えば、「哲学の歴史」のようなものを眺めていって、哲学という分野はどういった問題を解こうとしていたのかをざっくり知ることができる本ということになります。(あまり簡単になっていない)

哲学概要書を読むメリット

それで、実際に哲学の概要書を読むメリットについても語らせてください。主に今回のターゲットにしている方(再喝)のそれぞれに当てはまる方に、僕なりの哲学の押し売りをしてみます。

  1. 「哲学が何の役に立つのか?」を知りたい人
  2. 「哲学を知的好奇心を満たすために知りたい」と考えている人
  3. 人生や仕事など色々なことに悩んで、哲学に救いを求めている人

1 「哲学が何の役に立つのか?」を知りたい人へのメリット

「何の役に立つの?」という実利的な見方から哲学を学ぶと「意外と役に立たねえな」「役には立つけど、世の中の”役に立つ”と、哲学的な意味を知った上での”役に立つ”って違うな」みたいな感想は出てくるんですが、やっぱり「アウフヘーベン」だとか、「ルサンチマン」だとか、「現象学的還元」だとかを理解すると、世の中の見方が変わってきます。

僕は個人的には、人は2つのパターンがあると思っていて、「具体的な事例を帰納的に考えて一般的なものの見方に落とし込む人」と「普遍的な抽象概念を作って、それに具体例を当てはめていくことで一般的なものの見方を完成させる人」の2つが存在すると考えています。

たぶん、「何の役に立つのか?」という人のほとんどは、後者の「普遍的な抽象概念を作って、それに具体例を当てはめていくことで一般的なものの見方を完成させる人」だと思うんですね。

というのも、「そもそも根本的に役に立つか、役に立たないかがわからなければ、そもそも取り組む価値なんてない」と考えるからなんです。(僕もそのタイプ)

そのため、言葉・論理を使って人の認識できる範囲ギリギリまで言葉でゲキ詰めしていく哲学の有用性を知ることは、結果的に自分の限界を知ることにもつながります。

ですので、自分の人生に納得して、「役に立つものを最大限学び、活用し、生きていこう」という方々には、哲学という理性の落とし所みたいなのが非常に重要な「生きていくモチベーション」になると僕は考えています。

2 「哲学を知的好奇心を満たすために知りたい」と考えている人

知識欲や学習欲が先走ってしまうことがよくある人、よくぞこの分野にきてくれました、という感じです。特にいうことはなく、存分に好奇心を継続して満たして欲しいと考えています。

「哲学する人」と「哲学を分野として学ぶ人」には、大きな隔たりがあります。詳述はしませんが、「『哲学』者」はいないが、世の中には「『晢」学者」はいると表現した方もおりました。

つまり、哲学の歴史などを学んで満足するようでは、真に哲学しているとは言えないという表現なのですが、哲学とはずばり、「論理の積み重ね」であり、より根本的な原理・原則へと論理を飛躍させていく衝動のような動きです。

そのため、知的好奇心を満たすためという強烈な原動力を持つ人が取り組むことで、哲学はさらに世の中に敷衍していきます。

あなたはきっと、(こんなこと言いたくありませんが)哲学用語を知ることでより知的な素養を身に付けることができる、と考えていると思います。そしてそれは、おっしゃる通りです。

僕はもともとそういう「かっこつけ」から始まり、哲学書を読み込む生活をスタートさせました。あなたもそうすべきです。

3 人生や仕事など色々なことに悩んで、哲学に救いを求めている人

人の人生にとやかくいう筋合いはありませんが、これだけは言わせてください。哲学というのは、現代思想に進めば進むほど、現生における悩みを解決してくれたり、救いをもたらしたりしてくれる論理に出会うことが困難になります。

そのため、「自分の悩みをたった一つの明晰な論理で片付けることができる」という幻想は、早めに断ち切っておくべきでしょう。

世の中には「すでにその悩み、哲学者が答えを出していますよ」という本が出されたりしています。それはその通りだと思います。

でも、正直すでにそれは他人の説明を通して哲学者の言葉や論理を超訳してしまっているわけで、自分自身の腑に落ちることなんて滅多にない。

あなたはすでに悩み解決の本などに手を伸ばし、身近な人に相談し、具体的に何をすればいいのか考えあぐねている最中だと思います。

時間がない中この記事を読んでくれてとても嬉しいのですが、今回ご紹介する本のうちもっとも自分にあってそうなものを読んでみて、それで自分の考え方や生きる上での姿勢を見つめ直す説明に出会ったかどうか、ぜひ考えてみてほしいです。(別に急かしているわけではないですよ)

おすすめ哲学入門・概要書

では、さっそくおすすめの哲学入門・概要書のうち、僕がおすすめする本をどかっとご紹介します。

すでに詳しい人から見れば、「え?あえてこれを紹介するの?」というのもあるかもしれませんが、どうかご容赦くだされ。

1 自分を知るための哲学入門 - 竹田青嗣

僕がもっともお世話になった哲学入門書です。哲学者のうち、竹田先生の「哲学を学ぶ意味」に沿って、必要な観点から哲学者のいわんとしていることが紹介されています。(しかもわかりやすい解説付きで)

この本だけで「哲学、すべて理解した」となるのはやばいですが、一方で「哲学との付き合い方」はこの本から多くを学ぶことができました。

自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫)

自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫)

 

 

2 哲学と宗教全史 出口治明

ライフネット生命創業者、出口先生の「哲学・宗教」の歴史をざっくりと解説した本で、辞書みたいな厚さがあるのにスラスラ読めてしまいました。

出口先生は歴史・思想に深い知識をお持ちで、よくグロービスの動画なんかでも思想や歴史を踏まえたイベント・講演などをされており、大変勉強になります。

この本では、より通史的(歴史を全体的に眺めていく)な読み方で、哲学と宗教の歴史をすんなり学ぶことができました。

「宗教は関係ないのでは?」と思うかもしれませんが、アリストテレスの哲学は実は中東の宗教から逆輸入されなかったら西洋哲学から完全に消え失せていた可能性があるんですよってくらい関係あります。

哲学と宗教全史

哲学と宗教全史

 

 

3 史上最強の哲学入門/史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち - 飲茶 著

哲学的な何か、あと科学とか」で有名な飲茶先生の著作。ほかにも哲学関連の書籍を上梓されていますが、この2冊は非常に読みやすく、勉強になりました。

刃牙の煽り文句で哲学者・思想家を紹介していく形式なのですが、飲茶先生の軽快かつすぐに本質に音を消して歩いて近づいてくる感覚もたまらなく面白いです。

むずかしい言葉なしで読み進めたい方に一押し。

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

 

 

4 武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50 - 山口周

実利主義というか、 「実際にこんなに役に立つんやで」ということを知識・教養のメリケンサックで教えてくれる山口先生の著作です。

ビジネスシーンにおいて使えるような知識を身に付けたいという目的なら、本書を一番最初に手に取ると良いと思います。

ちなみに『外資系コンサルの知的生産術』という新書もすごい勉強になるのですが、AmazonPrimeだと「PrimeReading」で今無料で読めます。

 

独断と偏見でおすすめ!哲学入門書

ここからは僕の独断と偏見です。知識や分野に偏りがありますが、僕は初期ギリシャ哲学、ニーチェ構造主義現象学現代思想と学際的な分野を学べば哲学の大まかな素描はできると思っているため、こういったレパートリーになりました。

1 寝ながら学べる構造主義

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寝ながら学べる構造主義 *3

 

2 ニーチェ入門 

ニーチェ入門 (ちくま新書)

ニーチェ入門 (ちくま新書)

 

3 プラトン入門

プラトン入門 (ちくま学芸文庫)

プラトン入門 (ちくま学芸文庫)

 

4 現象学入門

現象学入門 (NHKブックス)

現象学入門 (NHKブックス)

 

5 なぜ世界は存在しないのか 

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

 

6 社会心理学講義 

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書)

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書)

 

まとめ|随時更新します 

現段階で、哲学を学び始めたい人向けにおすすめできる本をまとめました。

僕もまだ読んでいる途中の概要書がいくつかあるため、「これはおすすめできるぞ!」というのがありましたら、随時更新していきたいと考えています。(新しい記事にする可能性もある)

みなさま、良い哲学ライフを!

*1:文春新書

*2:文春新書

*3:文春新書

自己を対象の認識のみに同一化させることを原因とするアイデンティティの崩壊について

「自己を対象の認識のみに同一化させること」によって、自分自身の自己同一性が崩壊する原因をつくることになるということについて、今回はポストしたい。

「自己を対象の認識のみに同一化させること」とは、具体的にどのような意味なのかについて述べてから、「自分自身の自己同一性を崩壊させること」の意味について続けて述べ、その後にその理由と問題点、回避する方法の考察を行う。

簡単にいうなら、「他人からの期待に答えようとしすぎるあまりに、それが自分自身のキャパシティを超えてしまい鬱な気分になる人」に対する、僕からのヒントのようなものだ。

「自己を対象の認識のみに同一化させること」とは何か?

「自己を対象の認識のみに同一化させること」とは、心理学用語では「取り入れ」と言う防衛機制のひとつとして捉えることができる。

取り入れ(とりいれ、Introjection、ドイツ語: Introjektion)とは、精神分析学の用語であり複数の意味を持つ。 一般的には、周囲の取り巻く世界の行動、属性、他の断片などを、自身が再現しようとするプロセスと見なされる。 取り入れは、投影の初期段階として記されている。

 引用:取り入れ - Wikipedia

これは後から知った用語であり、僕はそれを如実な実体験として経験した。自分が期待される役割は、相手が自分のことを「こう思うだろう」「こう思いたいと考えているだろう」という相手の認識を自分が予測することで得た役割であると定義することが、自己を対象の認識のみに同一化させること、である。

卑近な例を挙げる。

まず、あなたがAさん、そして相手がBさん。Bさんを仮にあなたの伴侶だとする。伴侶であるBさんは、Aさん(あなた)を「子供の面倒をもっとも時間をかけてみてくれる」という子育て熱心な人だと認識しているとする。

そして、Aさん(あなた)は、「伴侶であるBさんは、自分(Aさん)のことを『子供の面倒をもっとも時間をかけてみてくれる人』だと思っている」という予測を、日々のBさんからの問いかけから判断するとする。

このような、暗黙のうちになされる「相手に対する期待(社会学用語「役割期待」)」は、上記のAさんとBさんのように、「暗黙の前提として辻褄が合っている」場合には大変都合が良い。

Bさんからしてみれば、Aさんは自分が期待通りの日常生活を送ってくれることを期待し、実際にそのような現実が目の前で展開されているからだ。

また、Aさんも、Bさんから自分へどんな期待が寄せられているかを認識することができ、その認識は正しいという状態である。よって、AさんとBさんが日常生活...この場合は「子育て」に関して...認識や実際の行動に齟齬ができることはない。

認識と実際の行動に齟齬が出ない場合には、たとえ少しばかり認識に多少のズレ(「子育てに12時間かけられると思っていたが10時間程度が体力の限界だった」など)があったとしても、ほとんどの場合は問題になることはない。

しかし、ここで一つの問題が隠れていることがわかる。それが、今回挙げている「自己を対象の認識のみに同一化させること」である。

「自己を対象の認識のみに同一化させること」という言葉のうち、「認識のみに」という点に着目してほしい。

たとえば、BさんはAさんに対して『子供の面倒をもっとも時間をかけてみてくれる人』という期待をまったく寄せていないのにも関わらず、Aさんが勝手に「Bさんから『子供の面倒をもっとも時間をかけてみてくれる人』だと思われている」と考えたとしたら、それは本来ないはずの自己のアイデンティティを、勝手に相手から逆に投影する形で得たことになる。

「自分自身の自己同一性を崩壊させること」

ここからは仮説だが、このように、相手から勝手に自己のアイデンティティとなるような役割期待を引き出してしまうことには、大きなリスクがある。

たとえば、僕自身は非常に他人が自分に対して向けるネガティブな感情に対して敏感であるが、それが災いして、「自分が他人から求められていると思い込んでいる役割期待」に押しつぶされそうになってしまったことがあった。

自分自身にプレッシャーを駆け過ぎることで、月並みな表現で言えば、「理想と現実の自分のギャップに苦しんで精神を摩耗した」ということで片付けることもできるが、ことはもっと複雑多岐な原因があるのではないかと考えている。

他人が自分に対して寄せている期待というものは、それが実際に相手からなされているものであれば、日常生活の中で、多かれ少なかれ「実際の言動」として自分自身に表現されていることが多いのではないか。

「自他共に認める」という表現があるが、これは「自分には○○という能力がある」という自信や自負を、他人からの認識や賞賛の言葉、それを前提としたコミュニケーションから確信する形で得ているからこそ可能なことなのである。

つまり、「勝手に自分自身が相手から求められている役割を定義してしまっている場合」は、周囲の人々から自分が「こうあらねばならない」という自己像への期待の言葉やそれを前提にしたコミュニケーションを撮ってもらうことができないのである。

これはつまり、「自分は求められていないのではないか?」「自分への期待値はどんどん低下しているのではないか?」という不安を発生させてしまうのである。

それがある程度の値を超えることで、「自分自身の自己同一性を崩壊させること」に繋がっていくのである。

「自分自身の自己同一性を崩壊させること」とは、「自分が相手から期待されている役割が、実際の日常生活の中ではそれほど期待されていない」ことが、そのまま「自分が必要ない存在である」という過度の一般化によってネガティブな方向に触れることを意味するのである。

「自己を対象の認識のみに同一化させること」の代わりに行うべきことは「自分自身の体系の構築」である。

僕は好んで体系という言葉を使用する。

体系とは、構造主義的な視点でいえば、「変化はするものの構造としては変わらないもの」を意味すると考えている。つまり、伸縮自在な生地の上に描いたイラストが、伸縮と共にその形を異にするような状態である。

もとのイラスト(構造)は変化していない一方で、その伸縮という形で体系(イラストが書かれている範囲)が変化している。

まだ方法論を確立することはできていないが、この自分のアイデンティティ構築のヒントとして、体系とその変化への対応がヒントになるのではないかという直観がある。

自分自身の体系を構築することができれば、身の回りの環境の変化に合わせて柔軟に変化しつつ、構造としては変化しない自己像を構築することができるのではないか。

いまいちヒントにも答えにもアドバイスにもなっていない気がするが、ひとまずここで筆を置いて、今後の課題としたい。